戦争末期、北九州地区のいたるところが空襲を受けた
ここ久留米も例外ではなく、1945(昭20)年8月11日
米軍機による攻撃を受けた
グラマンか、いやロッキードP51か・・・
狙いは”日本ゴム”なのか・・
市都心部の70パーセントが焦土と化し火の海である
死者212人をも出した
戦後の復興、市の財源確保の為
他の自治体でも行われていた競輪事業に取り組む事とした
実際に競輪をやれば儲かってた時代でもあった
久留米市は軍事施設があったというこの場所に競輪場を建設し
1949(昭24)年:市営の久留米競輪場が開設された
<昭和43年度・久留米市主催・連勝単式車券>
公園の小高い山の中にある競輪場は
敷地面積、全国第2位を誇るという
福岡県久留米市
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